年月

 
昨日友達のブログに、彼女のお友達が最近スピリチュアルづいているのが少し気になりつつ、「シングル・マザーとしての子育て、ビジネスの上に病気が重なって、一時的な心の支えにしているのかな~?」とやさしく見守る文章があって、少し考えさせられました。

わたしは占いやスピリチュアル、宗教に対して複雑な立ち位置をとっています。

まず占いは、「面白ければいい」「その人のためになればいい」というスタンスで、雑誌や新聞、テレビやネットで占いがあっても関心ゼロ。 まったく読みません。
血液型がどうとか、星座がどうとか、で何?という感じです。
と同時に、18-9歳の時に人生で1回だけ興味本位で手相占いをしてもらったことがあり、その時の占い師の言葉が実現する時期があって、「あ~、あの占い師のおじさんは、わたしの深層心理にある関心を感じ取って、それを言語化したのね」と納得した経験もあります(もはや占いではない)。
つまり、わたしがじぶんで気づいていない欲望や傾向を第三者が気づかせてくれて、わたしがそれを具体化した。 あとから思えば、それも悪くないな~と思っています。
あとにも先にも、占いはそれ1回だけですが。

スピリチュアルに関しては微妙です。
いわゆるパワースポットとか、そういうものに対する興味は皆無なものの、山の中を歩いていて、「あれ? なんかここ(パワースポットでも何でもない無名の場所の)雰囲気が違う??」と思うこともあり、完全には否定できません。
目に見えない大切なことは多く、証明できないだけに、肯定も否定もできない。
山を歩いている時の感覚が精神世界的であることも否定できないため、半スピリチュアル派でしょうか。

宗教は、「その人のためになればいい」というスタンスです。
わたし自身は宗教心が薄いのですが、お仏壇やお墓、お地蔵さんの前で手を合わせる人を美しいと思うし、イスラムの礼拝も神々しい。
本当に貧しい人が、宗教を日常の指針や心の支えにしている様子も十分見てきて、宗教は人間にとって必要なものだと感じました。
逆にあまり宗教的でないじぶんは、そこまで救いを必要としていないのだと思います。
と同時に、県外の友人が目のお寺に連れて行ってくれて以来、毎年そのお寺に行く習慣もあります。
お地蔵さんの前を、何の敬意ももたずに素通りすることはできず、心の中で会釈したり、「こんにちは」とあいさつ。
朝日を見ると、心の中で手を合わせているじぶんもいるのです。


願望や祈り、救いを求める気持ちに加え、文化的なすりこみ、そして「何かよくわからないけど感じること」の表れ方は人それぞれで、その人や、その人の置かれた状態が変われば、その表れ方、表現の仕方は変わるのかもしれません。
たとえ家族や友達であっても、長い年月の間にその人は変わる。
その人の状況が変わるのだから、それも当然のことと、わたしの友達のように受けとめて見守るのが正解だと思います。
みんな多かれ少なかれ変わるものなので、それはお互いさま。
何かを信じる姿は美しいので、じぶんが強制されない限り、その人がしあわせであればOK。
年月を経て、自然に答えが出るものだという気がしています。

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