便利をどこまで取り入れるか
BuzzFeedというHPに電熱ベストの検証記事があり、久々に電熱ベストの存在を思い出しました。
数年前に外遊びを始めた頃、冬の野外でいかに暖かく過ごすかは大きな課題でした。
その時に「これ、最高じゃん!」と思ったのが、モバイルバッテリーを使って電気カーペットのように体を温める電熱ベストです。
値段もそれほど高くなく、たくさんの種類があります。
安いので耐久性は不明ですが、明らかに野外だけでなく、屋内でも役立ちます。
かなり購入を迷った末、電気ありきの商品だということは、電気がないと役に立たない(この場合効果が半減する)ということでもあるため、買うのを見送りました。
外遊びをし始めて気づいたのは、普段のわたしの生活が、いかに「電気ありき」「水道ありき」「お金を出して買える食料ありき」という前提に基づいているかです。
逆に言えば、電気や水道、買える食料がなければ、自分の暮らしがまったくというほど成り立ちません。
おそらく「そんなの、当たり前だからいいんじゃん?」と言う人が多いとは思いますが、望まずして「本当にそれでいいのか?」という疑問を持つようになったのです。
15歳の頃、無料の交換留学生としてオーストラリアに行った時、「シャワーは10分以内、洗い物は流水を使わずタライを使う」という常識に驚き、5年住んだ国でも常に干害に悩まされていたため、大きなタンクを持っている人以外は、水を貯めたり、どこかからくんできたり、タライで洗い物・洗濯・入浴が当たり前。
でも日本では、水や電気はお金さえ払えば無限に使え、町中だといつ何時も、お金さえ払えば食料が手に入ります。すごく便利で安心であると同時に、なかなか贅沢なことです。
その恩恵を、外遊びを始めたことで改めて考えるようになりました。
結果的に、腹巻き1枚あれば、寒がりな自分もカイロなしで過ごせることがわかり、安いものでもダウン製品があれば布団や暖房を減らせることに気づいたため、電熱ベストの必要性を感じなくなりました。
便利な物をどこまで取り入れるかは、なかなか悩ましい問題です。
「持続可能」の判断の境界線は、その人の置かれた状況によっても異なり、どこまで不便を許容できるかという価値観も大きくかかわってきます。
効率を追求すれば、自ずと便利さを追求することになるでしょう。
と同時に、その対価は?
電熱ベストをきっかけに、久々に自分の境界線を考えた朝です。

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