助けを求める練習
今日の朝日新聞「声」欄に、障がいのあるお母様がセルフレジに苦労して買い物に行きたがららないため、同居している娘さんがお母様を一人置いて婚約者と同居するのをためらっているという読者投稿が掲載されていました。
お母様がスーパーに行くと、うしろに並んでいる他のお客さんが、「遅い」「まだかよ」という言葉を口にするそうです。
お母様がスーパーに行くと、うしろに並んでいる他のお客さんが、「遅い」「まだかよ」という言葉を口にするそうです。
この投稿を読んだ時、まず頭に浮かんだのは、「困っている人に対してそんな暴言を吐くほど余裕のない人がいるのだな」ということ。
でも少し経ってから、「そういう人もいるからしょうがないな」と思い直しました。
かく言うわたしも、機械の操作はもちろんのこと、全般的に他の人に比べて動きが遅い方。
それを自覚しているので、時間がかかりそうだと思ったら、すぐさま「わたし遅いんで」と言って、うしろに並んでいる人に順番を譲ったり、店員さんや近くにいるお客さんに助けを求めたりするようにしています。
そのせいか、「早くしろ」と言われた記憶はあまりありません。わたしが覚えていないだけかもしれませんが(苦)。
本当は、知らない土地や馴れないことをする時でも、一人でサッと対応できたら最高です。
でもそれができないのであれば、少しの勇気は必要でも、できるだけ早めに誰かに助けを求める方が、結果的には問題が起きにくいのではないでしょうか。
もちろん声をかけた時に迷惑そうな顔をする人もいますが、「すみませ~ん。。。」と頭を下げてお願いしています。
子どもや高齢者、障がい者、部外者、社会的弱者であればあるほど、多少抵抗はあっても人に助けを求める練習が必要だとモタモタ派のわたしは思う、というか生存上必要な行為です。
以前、海外の大学で法律の授業を受けている時に当てられたことがありました。
わたしが、「すみません。英語が母語ではないので、先生が言われたことを100%理解できていないためわかりません」と言ったら、「そんなことは言い訳になりません! わからないことはその場で質問しなさい!!」と一喝されたことがあります。
それ以来、先生の話を中断してででも挙手をして「すみません! 〇〇という言葉はどういう意味ですか?」と質問せざるをえなくなりました。
その授業の参加者は400人ほど。
「またアイツかよ」「そんな単語も知らないのかよ。。。」という冷ややかな空気をヒリヒリ感じつつ、挙手をして声を上げる日々。
おかげで列に並んでモタついている時に、うしろから「早くしろよ!」という声が上がっても、「すみません! それではアナタ、お手伝いしていただけますか?」と言えるようになりました。
他人に助けを求めるのは恥ずかしいし、なかなか勇気がいります。
それでも切磋琢磨してピリピリしている400人の中、他愛もない質問で授業を中断することを思えば、大抵のことは大したことありません。
もちろんわたしをみんなの前で一喝した先生は、わたしに文句を言うこともなく毎回わからない単語の意味を教えてくれました。
そのおかげで、多少嫌な顔をされても助けてもらえると学んだような気がします。
実際自分が声をかけた人でなくても、たいてい誰かが助けてくれるのです。
ヘルフマークに関するニュースで、公共の乗り物の中で席を譲って貰えない話。 優先席でも座れない事が多いそう。 フランスは優先席はなく、困っている人を見たら声をかける、それが当たり前だそうです。
返信削除手間取っている人、困っている人がいたら声をかける。待っても良いという気持ちの余裕を持つ。
飲食、娯楽などには限りなく並ぶのに買い物の数分待てないのはなぜかしら?笑
困ってい人も素直に困っていますと伝えた方が、手助けしやすい。
この歳になると、若い頃と違って恥ずかしさよりも解決したい欲が強いので、分からないことはすぐ聞く。
図々しいかもしれないが、迷っている時間が無駄なのだ笑
「若い頃と違って恥ずかしさよりも解決したい欲が強いので、分からないことはすぐ聞く」のは正しい。みんなそうするべきだと思う。
削除「公共の乗り物で困っている人に席を譲らない」「ベビーカーを押す人を嫌う」「子ども連れに嫌な顔をする」っていう話を聞くと、個人的にはダサくて恥ずかしいと思うんだけど、本人にその自覚はないんだよね(苦)。
相手の置かれた状況を想像する力や人に対する思いやりが欠けているのかもしれない。
日頃から大人がよい見本を見せて、子どもに人を思いやる習慣を身につけさせたら次の世代はよくなるはずだけど、そうは思わない人もいるということだろうな。
自分は悪い見本にならないよう気をつけるしかないね。