必要性があれば、自然にやるから大丈夫
わたしのアパートの隣には、結婚して旦那さんや子どももいるけれど、家事や育児をせず買い物だけをして暮らしている女性(大家さんの娘、50代)がいます。
わたしの部屋に続く通路がゴミ屋敷化しているのは閉口することもあるものの、他には何の問題もなく、いつも「幸せそうでいいな」と思っています。
しかし彼女の母親である大家さんは、いつも彼女からお金をたかられているらしく、わたしが家賃を持って行くたびにその愚痴をこぼします。
最初の頃はわたしも、「旦那さんがちゃんと働いているのだから、大家さんが嫌なのであれば大人にお小遣いをあげる必要はないのでは?」と言っていたのですが、その後10年経ってもお小遣いをあげ続け、料理を持って行き、お孫さんの世話をしているので、「不満を言いつつも、大家さんは娘さん一家の世話をしたいからしているのだな」という結論に達しています。
以前勤めていた職場でも、「息子夫婦(40代)が働かないので自分が働いている」という70代の男性がいました。
彼は定年まで大手企業で働き、息子さんも東大出身で一流企業に勤めていたとのこと。
「息子さんはいい大人だし、奥さんもいるんだから、放っておけばいいんですよ!」と言っても、息子の世話をやめない。
見ている方が若干切なくなりますが、彼も息子の世話がしたいのだと思います。
他にもそういう年配の方と数人出会って思うのは、彼らは文句を言いつつも、いつまでも子どもの世話がしたいんだということ。
本当に子どもに自立して欲しければ、どこかのタイミングで援助を控えるはずだからです。
もう30年前になりますが、わたしの母が病気で動けなくなった時、当時母と同居していた妹と、一人暮らしをしていたわたしとの間で、誰が母の経済的・軽介護的役割を担うかで根比べになったことがありました。
1ヶ月間お互いの出方を見合った末、わたしがしびれを切らして大黒柱の役割を担うことに。
それは、今振り返ると非情でしかないのですが、母への思いやりというよりも、必要性に迫られての決断でした(当時のわたしは19-20歳。許してください)。
そして時が経つにつれ、少しずつ必要性が当たり前に代わり、それが思いやりと感謝の気持ちに変化していきました。
そんな自分は「人間、必要性があれば、ある程度のことはできる」という物の見方をしています。
逆にいえば、必要性がなければ何もしなくてもいい。
働く必要がなければ働かなくてもいい。
大家さんや元同僚は、自分が子どもを助けないと人様に迷惑をかけるのでは?ということを心配しているようですが、彼らが援助できなくなっても、子ども達は自分で何とかするから大丈夫。
仮に、切羽詰まった時に犯罪等に手を染めることしか思いつかないとしたら、原因は他にある気がします。
わたしのようにグータラな人間でも、必要性さえあればグータラなりにできることを探して生きられるから大丈夫。
大家さんと元同僚のような親御さんには安心して「ただ自分が助けたいから子どもを助けているんだ」と思って欲しいです。
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