勝手に想像する親の愛情
今日の朝日新聞「天声人語」にアンリ・ファーブルのことが書かれていて、わたしが子どもの頃、家に『ファーブル昆虫記』があったことを思い出しました。
残念ながら、その内容はほとんど覚えていないものの、何度か手にとった記憶はあります。
思えば『シートン動物記』や百科事典、絵本やその他の本もたくさんありました。
これまで本の存在を当たり前のように思っていましたが、よくよく考えてみると、うちにあれだけの本が揃っていたのは、かなりすごいことです。
両親がいて、少しでも経済的に余裕のある家や、知識/勉強を重視する家庭ならまだしも、わたしの母は肉体労働者でした。
たしかに寝る前は本を読んでいたけれど、わたしたちに「勉強しろ」とか「本を読め」と言ったことはなく、知識や勉強を重視している風でもありません。
それに、たとえ本がインテリアだった時代とはいえ、カギもかけない長屋暮らし(家人が留守だろうが寝ていようが他人の入ってくる環境)で、そんな大枚をはたいてインテリア(本)を買うという発想があるでしょうか???
今度実家に帰ったら、「どうして家に本がたくさんあったの?」と聞いてみようと思いますが、母は過ぎ去った過去よりも、最近見た映画や庭の植物の成長、最近はまっている料理の話をする方が好きなので、おそらく納得できるような答えはもらえないでしょう(苦笑)。
それでもわたしは勝手に、「母の愛情で、子どものためにあったらいいと思って本を買ってくれていたのかな?」と想像しています。
新品にこだわらない母のこと。
人からもらったり、少しずつ古本屋で買っていたのかもしれません。
いずれにしろ「昔読んだ」という思い出があるおかげで愛着を感じ、また『ファーブル昆虫記』を読んでみたいと思っています。
45年前にきっかけを作ってくれた母に感謝です。

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