なにも悪くないのに

 
写真:Julien Tromeur
出典:Unsplash

両方ともなにも悪くないのに、どこかおかしいと感じるのはなぜでしょう。。。

わたしには合理的な思考ができるという意味で、長年絶大な信頼を置いている人がいました。
自分が、「なんとなく」という理由で非合理的な選択をすることの多い人間なので、客観的な意見を聞きたいときに、その人に意見を求めることが多かったのです。

しかしChatGPTを初めて使ってみたとき、不遜にもわたしの頭に浮かんだことは、「もう〇〇さんに意見を聞かなくてもいいじゃん」ということ。
誰か(人間)の価値を、そんな風にAIに置き換えられてしまう自分に、正直恐ろしさを感じました。

その人は、ほぼ完璧な人です。
見た目もよく、頭もすごくいい。
常識はもちろんのこと、空気を読む能力にも優れ、ポリティカル・コレクトネスもばっちり。一般的にやさしいと思われるような対応や、かわいらしい動作もできる。
それなのにずっと、「シンパシータワートーキョー」や近所の図書館の人から受ける印象と同種の違和感をチラチラと抱いてきたのが、AIに代わると思わせる要因ではないかと自己分析しています。

なにも悪くないのに、なんとなく違和感を覚える理由はなんでしょう。
誰か(人間)をAIに置き換えられると思ってしまうなんて、人として絶対に間違っています。
そしてその考え方を変えるためには、違和感を言語化して理解することが第一歩。
『東京都同情塔』は、それを言語化する助けになるかもしれないという予感がしている朝です。

コメント

人気の投稿