アイデンティティ
もう30年以上前のこと。友達から「お姉さん(もり子)は何してる人?」と聞かれた妹は、「本を読んでる」と答えたそうです。
「違う! お姉さんは何のお仕事をしているの?っていう意味!」と言われても、「本を読んでる」と答えたあと、「それ以外に答えようがないよ。本当に本しか読んでないんだから」と言ったらしい。
そのことを、時を経てそのお友達から直接聞いたわたしは大笑いし、今でもお気に入りのエピソードとして大切にしています。
たしかに当時のわたしは働いておらず、なぜか本ばかり読んでいました。
とはいえ、生活費を稼ぐ必要もあったため、あくまで一時的なこと。
それなのに妹は、「姉ちゃんは本を読んでいる人」として自分の友達に伝えていたのです。
わたしがこのエピソードを気に入っている理由は、妹がわたしという人間を職業で語らなかったことにあります。
単に「無職」と言うこともできただろうに(姉が無職ということが恥ずかしかったのか??)、そのときにわたしがしていることを友達に伝えた。
その感性が、自分の思うアイデンティティの考え方に合致していて、「さすが!」と思ったのです。
辞書を引くと、「アイデンティティ」とは「自己同一性」と書かれていて、その人の変わらない部分を指すようです。
しかしアイデンティティが変わるものであるということは、もはや常識になりつつあります。
国籍、セクシュアリティ、所属(学校、会社)、職業、住所、肩書きなど、これまで多くの人のアイデンティティの大部分を占めていたような要素は、すべて変わるし変えられる。
だとしたら、なにをもってその人をその人たらしめるのかは、本人の行動だとわたしは考えています。
国籍やセクシュアリティうんぬんのラベルがたくさん貼られているほど、他人はその人を理解しやすい〝気がする〟。
中にはラベルでしか人を見ない(見えない)人もいるため、わかりやすいラベルを自分に貼ることもあるでしょう。
でも本当は、その人の行動を見ていれば、どんな人なのかはわかるし、自分の行動を見ていれば、自分がどんな人間なのかもわかる、とわたしは思うのです。
アイデンティティは変わるもの。
何かの要素に固執したければ、それに固執するのもアイデンティティだし、固執しないのもアイデンティティ。
変わらないよさも、変わるよさもある。
30年ぐらい前に「本ばかり読んでいた人」は、「朝と山歩きが好きな人」になりました。
来年のわたしは、どんな自分になっているのでしょう。

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