上に向かって歩く

 
写真:Romeo A、出典:Unsplash

昨日、とあるYoutube番組で、「神社やお寺の階段が長いのは、上るのに必死になって邪念が払えるからだな」と言う人がいました。
その真偽のほどは別にして、少なくとも自分は頭を真っ白にするために山に行っている気がします。

歩き始めは思考を整理しようとか、計画を練ろうとか、いろいろなことをゴチャゴチャ考えながら進んでいるのですが、気づくと足の置き場や、どの木を掴むかしか考えていません。
そして無のまま帰宅(笑)。

神社やお寺にある長い階段も、必死になって上る内に、頭が真っ白になったところでお参りをするのでスッキリした気分になるのでしょう。
体を動かすことで幸せホルモンと呼ばれるセロトニンが分泌されることも、「お参りは気持ちいい」と言われることに関係しているかもしれません。

以前、登山アプリ会社の企画で、頭脳派の成田悠輔さん(実は元登山部)が3時間半山を歩かされた際、「もう何も考えられない」とおっしゃっていたので、上に向かって歩く行為は、どんなに理性優先の人の頭をも空っぽにするんだと思いました。

モヤモヤしたら、上に向かって歩く。
なかなかいいものです。

コメント

  1. なるほど 確かにあの長い石段を登ってるとただ登ることだけに集中してるかも。
    頭のなか、一瞬でも空っぽにしたい時は神社まで登ってみようかな。

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    1. 階段を上るたびに、家の階段でも「足重いわ~」って思う。慣れない。
      坂道のオプションがあったら、だいたい坂道を選んでしまう、弱いもり子でもあります(苦笑)。

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