境界線
写真:Will Francis
出典:Unsplash
誤解を避けるために、あえて具体的な事件の内容には触れませんが、今日の『朝日新聞』に「犯罪の被害者がさらなる被害をこうむらないよう、加害者に迎合することがある」という識者のコメントがあって、なかなか考えさせられました。
世の中には多種多様な境界線があって、その線引きが明確なものも、そうでないものもあります。
また、その基準の揺るがないことで生まれる不都合や欠点もあり(いわゆる「融通がきかない」というやつ)、必ずしも境界線を守ることが一概にいいとは言えません。
その前提を踏まえた上で、「危険か否か」という自分なりの線引きがはっきりしているわたしは、自分からその一線を越えたことでこうむる危険は「自分が悪い」と反省し、何度も「ここから入ってくるな!」と警告して、境界線から安全地帯に逃げているのに追いかけてくる危険に対しては、それで不都合が生じようが、一切迎合する気にはなれない。
ひたすら警告と回避を繰り返すだけです。
たしかに危険というリスクを乗り越えないと得られないものもあり(登山など、その典型)、そこが自己責任の境界線ではないでしょうか。
危険を承知で自分から一線を越え、失敗して傷ついた人に同情することはあっても、社会でその人の見方をすることが正しいのか、少し考えさせられます。
「さらなる被害をこうむらないよう加害者(危険)に〝迎合する〟」。。。
少なくとも、自分にはできない。。。
そこまで行った人に同情はできても、その人に責任がないとは言えない。
そう考えるわたしは、心の狭い人間なのでしょうか。
朝から、なかなか考えさせられる記事でした。

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