ゴミの話

 
写真:Collab Media、出典:Unsplash

以前、仕事で2年ほどゴミに関する調査をしたことがあります。
重点を置いていたのは、受け入れ限界を迎えていた固形廃棄物。
3つの国にある10か所ぐらいの廃棄物処理場をまわり、気づかない内に物の見方が変わったような気がします。

日本では焼却やリサイクルなどの処理方法も進んでいますが、いわゆる発展途上国ではゴミが全部1か所に集められるスタイルです。
処理場とはいえ、(おそらく有毒ガスや火災、治安の面で危険なため)一棟の建屋もありません。
ただの巨大な野外ゴミ捨て場。
見渡す限り、すべてゴミ。
ビニール袋や紙おむつなどの生活ゴミに加え、食肉加工後の動物の骨や、注射針などの医療ゴミ、解体されたビルの残骸など、人の出すゴミが全部見えます。
工事技術が不足していることに加え、蓄積されたゴミの量と毎日出るゴミの量が多すぎて、汚水処理設備を施すこともできません。
当然有毒ガスも発生して、町全体にかすみがかかったようなガスが充満することもあります。
それによって火災も発生し、処理場という名の大きなゴミ捨て場で火事が起きることは日常茶飯事です。
行き場のない人たちが処理場の脇に住んで、金属類やペットボトルなど、ゴミ拾いをして暮らしていることもあります。
中にはコンクリートブロックで2階建ての家を作り、そこから子どもを学校に通わせている〝成功者〟も。

わたし自身、毎週必ず買い物袋1杯分のゴミと新聞の束を排出しています。
自分がゴミを出すので、ゴミ処理場が家の隣にできても受け入れられる。
でも、ゴミは出すけど処理場を近くに作られることには反対する人たちがいるようです。
「他の人たちもゴミを出すのに、どうして自分の家の近所に?」という理屈でしょうか。

北海道の寿都(すっつ)町と神恵内(かもえない)村に続き、難しい決断をされたと思います。
文献調査や概要調査、精密調査に伴う交付金のことを含め、町/村の財政状況と、核ゴミ処分場を作るとはどういうことかを話し合う住民との対話が注目されます。


わたしは時々、ゴミを出す段になって、「どうして処分に困るようなものを買ってしまったんだろう」と後悔することがあります。
どうしても必要な物は仕方がないとしても、「それのある方が便利だから」「快適だから」という理由で物を買ってしまう自分がひたすら悪い。

原子力発電所も、核廃棄物の処分方法が決まらないまま稼働と増設が進んできましたが、電力が足らないなら使用量を減らすという方向性は一切検討せず、核のゴミを蓄積している現状に、我が身を省みざるをえません。

ゴミには、固形廃棄物や核廃棄物だけでなく、建設残土も含まれます。
わたしの通勤経路にも山積みになっている建設残土の一時置き場がありますが、あれは一体どうするのでしょうか。。。
すべてを海の埋め立てには使えず、山に持っていけば土砂災害と水質汚染が発生します。
「新規開発」ではなく「再開発」にしたら、建設残土の量が減らせるのでは??

便利なものを使うだけでなく、使ったあとのことも考える想像力が、もっと必要だと思う今日この頃です。

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