懇談
今月初頭に行われた環境省と水俣病被害者の懇談会が世間を騒がせています。
感じられるのは、少なくとも環境省側から沸き立つ鉄壁のような保身の空気。
そもそも「懇談会」って、打ち解けた雰囲気で話し合ってお互いの理解を深める機会を指す言葉じゃないの??
学校で行われる、保護者・生徒・教師の三者〝懇談〟に戦闘モードで臨む保護者も(わたしのまわりでは)少なくないようです。
いずれのケースも、話す機会が少ないため「懇談会」を闘いの場にするしかないのでしょうか。
環境省は、あえて「懇談会」という言葉を選ぶことで会の内容をマイルドにしたかったもかもしれないけれど、実際にやったことをふまえても大失敗。
言葉の形骸化を国が率先してやったらイカンです。
それとも、わたしの気づかない内に「懇談」という言葉の意味が変わっているのでしょうか。。。
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