肩書き
写真:Mediamodifier、出典:Unsplash
今日の『朝日新聞』の読者投稿「声」欄に、何か違和感を覚えました。
「何が引っかかっているのだ?」と紙面を見渡すと、8つの投稿の内2つの投稿者肩書きが「元〇〇」、もう1つが「前〇〇」になっています。
「前〇〇」さんは意見の信憑性を高めるためにその肩書きを使ったのだと理解できる一方で、「元〇〇」さんの投稿内容と肩書きに関連性はありません。
「元〇〇」さんは今の肩書きが不満で「元」をつけたのか、70代と90代の方なので、今はお仕事をされておらず、職業欄に自分のことをどう書いていいのかわからなかったために「元」を使ったのかもしれません。
いずれにしろ、わたしが投稿の内容に加えて、投稿者の年齢と肩書きも無意識の内にチェックしていることを否応なしに気づかされました。
たしかにその分野に通じているだろう肩書きの人がその分野について意見を述べるのと、まったく無関係に思える職業に就いている人が意見を述べるのとでは信頼度が違います。
その人の経歴を知らなければ、そう主張する根拠を詳しく説明してもらう以外にその意見が妥当かどうかを判断する手段がないため、それ相応の経験に基づいた主張だということを手っ取り早く匂わせる/アピールするために肩書きが使われるのでしょう(もちろん肩書きだけが立派な人もいます)。
でも、主張や意見に関係のない肩書きは何でもいいのではないでしょうか?
もし自分の今の職業が〝人としての〟信用度に欠けると思った方が、ご自分の主張とはまったく関係がないのに、より社会的に好ましいと思われる「元〇〇」という肩書きを使ったのだとしたら、少しさびしい気がします。
たしかに肩書きで人を判断する人もいるけれど(残念ながら、おそらくそれが多数派)、自分が過去のラベルにこだわっていたら、今の自分がかわいそうです。
かく言うわたしの職業は「フリーター」。
仕事への責任感を強く意識するために自分は翻訳者なのだと言い聞かせてはいるものの、生活を支える主な手段は「フリーター」です。
いい年をして社会的信用度に欠ける肩書きは恥ずかしいけれど、主な収入源が翻訳になったら「翻訳者」の看板を掲げます。
自分が今の自分を認められなくてどうする。
もしかしたらずっと「フリーター」かもしれないけれど、わたしはわたしに変わりありません。

コメント
コメントを投稿