ヘルプマークがなくても
出典:東京都福祉局
外見からはわからなくても援助や配慮を必要としている人が、周囲の人から援助を得やすくするためのヘルプマーク。
世の中には、ものすごくわかりやすい障がいにしか気づかない人もいるので、ヘルプマークをもつのはわかりやすくていいと思う。
と同時に、普段は何の問題もない健康体であっても、その日たまたま調子の悪い人や、ヘルプマークの交付対象ではないけれど、助けや配慮を必要としている人の存在を忘れさせそうで、少しモヤモヤしている自分もいる。
誰だって人の配慮や助けが必要なときはある。
「(人の痛みを)感じる人は知っている」とはよく言ったもので、その痛みを知らない人は他人の痛みに鈍感だ。
昨日バイト先に行ったら、始業前のミーティングで「今日2人も救急車で運ばれました。1時間に2回です。みなさん、体調管理には十分注意してください」と言われて驚いた。
体を使う仕事では意外に倒れる人が多く、もう何回「救急車が来た」と聞いたかわからない。
わたしがその場に居合わせたことはないので、倒れる前の人に何らかの兆候があったのかはわからないけれど、多少は具合が悪そうにしていたのではないかと想像している。
わたしも目が回って一瞬じっとしていたときに、目の前で手を叩かれたり、「もり子さん、早く〇〇してください」と言われたことがあった。
立ったまま呼吸を整えて目の焦点が定まるのを待っていただけだから、せいぜい1-2分のことだと思うけど、それでも働けとお尻を叩かれたので、「すみません、今目がまわっているので少しだけ待ってください!」と言ったら、やさしい人がサーッと走って行ってわたしの代わりに作業してくれた。
でも、わたしのように自分の体調不良を口に出せない人は、倒れるまでがんばってしまうのかもしれない。
職場だけでなく、町中でも、みんな必死に生きている。
でも、目の前の人の様子がおかしいことに気づかないほど必死な状態は、わたしは好きじゃない。
たとえ全員が苦しんでいても、少し余裕のある人が、より助けを必要としている人をいたわったりカバーしたりするのが自分にとっての当たり前なのだけれど、そう思っていない人が多いのだろうか。
わたしはそうやって人に助けられていることを日々感じているので、この人苦しそうだと思ったら、黙って自分にできることをしたり、声をかけたりする。
そしてそれ以上に(体感的には30倍以上)人に助けられている。
ヘルプマークがなくても。

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