ひとつの記事から
『朝日新聞』の「老いる韓国:『超高齢化』のリアル」という特集第1回目に掲載された安仁周(あん いんじゅ)記者の記事(今日の紙面では無料で読める)がなかなか考えさせられます。
その記事の概要はこうです。
安さんがソウルの地下鉄に乗っている時、大きなリュックを背負った80代ぐらいの女性に誰も席を譲らず、その方が若者に席を譲って欲しいと頼んでやっと座れるところを見た。
しかし声を掛けられた若者は少し困惑した表情を見せ、無言で席を立って気まずい空気が流れた。
この出来事を20代の知人に話したところ、「誰も譲りませんよ。だってキリがないし」と言われて驚いた。
インターネットの一部では「ノーシニア」「老人嫌悪」「年金虫」という表現も見られる。
高齢者を敬うという儒教の影響が色濃い韓国でも、高齢者に対する眼差しが変わってきている、というお話です。
この記事は65歳以上の人口が増える高齢化社会の現実と課題を浮き彫りにすることを目的に書かれており、高齢化社会という切り口だけでも複数の論点が見える優れた内容です。
と同時に、視点の先を高齢者以外に置き換えてもさまざまなことが考えられる記事だと思いました。
高齢者を敬うという価値観そのものや、高齢者は社会のお荷物でしかないのか、高齢者を年齢だけで十把一絡げにしてもいいのか、いたわるべきは高齢者だけなのか、という問題を再考するきっかけになると共に、社会的弱者を制度で保護する場合、弱者が大半を占めるようになった社会でもそうすべきなのかを考えさせられます。
高齢者の人口比率に合わせて優先座席を作ると、電車やバスの優先座席は増える一方です。
優先席に座る権利を、年齢や一目でわかる妊婦、障がい者、けが人、ヘルプマークの有無で線引きするのか。
普通座席と優先座席で座る人がはっきり分かれる電車やバスは、個人的には異様な感じがするけれど、そうしないと困っている人が救われないならそうすべなのか。
そしてそのような流れは属性による社会の分断や差別に繋がらないのか。
朝からいろいろなことを考えさせてくれる安記者の記事でした。
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