「人として」
数年前にひと回り年下の先輩同僚から、「もり子さんって『人として』ってよく言いますけど、それってどういう意味ですか?」と聞かれたことがあります。
そう指摘されて振り返ると、「自分は現代日本における社会人としてはダメ人間かもしれないけど、人としてはそう悪くないと思う」などと自己弁護をしたり(苦笑)、非道な振る舞いを見聞きした時に、「それって人としてどうなの?!」という言葉を口にしているかもしれないと思い、同僚にはこう説明しました。
「『人として』っていうのは、他人を思いやれるとか、嘘をつかないとか、そういうことを言うのだと思う」と。
その時は、「『人として』という言い方が通じない人もいるのか。。。 まぁここは非人道的な会社だし、その環境に慣れている人にはわかりづらい表現かもしれない。言われてみれば『人として』ってあいまいな表現だしな」と思って終わり。
今朝、板橋区の踏切殺人の記事を読んだ時に、「加害者らは人として狂っている。。。」と思う自分を発見してその時のことを思い出し、この投稿を書こうと思いました。
「人として」という言葉をGoogleで検索してみると、意外にも「その言葉の意味がわからない」と言う人は多く、「上から目線な感じがする」「常識を押しつけているような感じがして嫌だ」などという否定的な意見が上位に出てきます。
どうりで「人として」という表現が元同僚に伝わらなかったわけです。
しかもネガティブな受け取られ方をすることもあるとは。。。
たしかにパソコンの操作方法を知らないなどという理由で、「そんなことも知らないなんて、君、人としてどうなんだ!」と言う場合は、上から目線だし自分の基準を押しつけている感じがします。
でも、江別市の大学生暴行殺人や、旭川の女子高生殺害などの加害者らに抱く、「人として狂っている」という感情も、上から目線で常識を押しつけているのでしょうか。。。(悩)
人はみな十人十色。 価値観や感じ方も違っていて当たり前。
「人として」のみならず「他人を思いやる」という概念の定義も人によって異なるのだと思います。
誰かが「あの人はいい人」とか「やさしい人」と言う時に、「えっ?! マジか。。。」と思うことがあるように(わたしは結構ある)、人として正しいと感じるか、正常と感じるかの基準も違う。
先に挙げた事件の加害者らも、家族や友人にとっては害のない〝やさしい人〟だったかもしれないけれど、あんなことのできる人が〝やさしい〟とは、少なくともわたしは思えません。
感覚は人それぞれなので、自分の基準を押しつけるつもりはありませんが、誰かを傷つける行為を、わたしは自分が被害にあっていないという理由で「人としてアリ」にはできない。。。
そんな自分を再確認している朝です。
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