こうやって自分の方向性は固まるのかもしれない
昨日、バイト先で2回も濡れ衣を着せられて少しへこみました。
自分でも不確かなことであれば、「もしかして失敗した?」と自分を疑うのですが、昨日は自分がその場におらず、その作業にかかわってもいないことに関して、「もり子さんがやっているのを見たという人がいる」と社員の方に言われ、「わたしはずっとここで別の作業をしていましたけど。。。」と返すことしかできませんでした。
しかもその作業は、その方に言われてやっていた仕事です。
「わたしがここでこれをしていることは、あなたが一番よくわかっているはずでは??」と頭が混乱しました。
それが1回であれば、社員の方の勘違いだろうと受け流すのだけど、同じ日に2度も。
わたしは過失の起きた作業をしていた人の目を無言で見ましたが、相手は平然として目も合わせません。
ずっとまわりにいた他の人も、その社員の方も、その人が過失の起きた作業をしていることを見ていなかった???
しかし同時に、ここ数年、特に肉体労働系の仕事では濡れ衣を着せられることが多いので、「まぁいいか」とは思っています。
誰かが自分をおとしめようとしていることに直面すると気分はよくありませんが、どうあがいても他人は変えられないし、「これこれこうだから、こういう結果になりますよね?」と言っても通じない相手に説明する労力や時間は無駄。
自分でうまく気分転換するスキルを上げる方がよっぽど手っ取り早い。
こうしてわたしはどんどん自分の好きな世界にのめり込み、自分の信じる価値観が強固になって、「みんなこうしているから間違ったことでも同じようにする方が目立たない」という(それを口に出す人もいるけど恥ずかしくないのか??)容認・同調派からは浮いたままの状態が続き、悪意の標的にされるというサイクル。
「本当にくだらないなぁ」と思いながらも、そういうことが連続して起きると一旦気分は萎えます。
そしてまた復活する。
こうやって、さまざまな経験を通して自分の方向性が定まり、人格が形成されていくのかもしれないと思う出来事でした。
それは、納得できないことなのに反論しても仕方ないと思う気持ちもわかる。
返信削除こういうことは必ず見ている人がいる。同調しないもり子さんのミスにすればいいなんてことをやっている人は、必ず自分に跳ね返ってくるはず。
やっていないことは自信を持ってやっていないと伝えてもいいと思う。
もう決めつけている人には、聞く耳は無いけれど、必ずもり子さんの正しさを知る人はいるから。
ありがとう(嬉涙)。
削除でもわたしの住む地域では理屈よりも日頃の馴れ合いが圧倒的に勝るから、「ここにいなかったんだから、やってません」と言う気にもならなかったよ。
その場にいなかったという事実よりも、自分と仲の良い人がそう言っているということの方が主張として強いんだ~。
複数の職場でこういう特徴があるから、土地柄かもしれないよ。