『荒野へ』を読んで

 
出典:集英社

アメリカのジャーナリスト、ジョン・クラカワーの『Into Thin Air』(邦題『空へ』)がとてもよかったので、年末年始にかけてクラカワーの『荒野へ』を読みました。
この本は1992年にアラスカで遺体で発見された若者の軌跡を追ったノンフィクションで、なかなか考えさせられることが多かったです。

主人公の若者は20代前半。
比較的裕福な家庭に生まれながら、大学卒業と同時にすべてを捨ててアメリカを放浪し始めます。
努力家で頭もよく、学校の成績も優秀。
誰からも愛される誠実さと純粋さを兼ね備え、スポーツや音楽の才能にも恵まれた彼が、なぜ全財産を寄付し、自分の名前や身分を捨ててまで旅に出たのか。
そして無謀ともいえるアラスカの森の中での生活を選び、餓死にいたったのか。

この本を読んで一番印象的だったのは、彼の行動をめぐる世間の反応です。
「自然をなめるな!」「夢ばかり追っている人間のひとりに過ぎない!」と主人公を非難する声が優勢な中、彼の生き方に共感する人や、何かを考えるきっかけになったことがうかがえる意見もあります。
現にジョン・クラカワーもこの若者の行動から感じ考えるところがあったからこそ彼を題材にした本を書き、ショーン・ペンは『イントゥ・ザ・ワイルド』という映画を作ったのだと思います。
これらの映画に寄せられた感想を見ても、読者/視聴者の人生観が浮き彫りになっていて非常に興味深い。
わたしは『荒野へ』を読んで、トルストイの短編小説『イワン・イリッチの死』を思い出しました。

『イワン~』の最後の方で、列車が正しい方向に走っていると思っていたら実は逆で、突如正しい方向に気づく感覚を主人公が覚えるシーンがあります。
頭(理性)と心(感情)と体(感覚)のすべてがイエス(それでいい)と反応する時、人は最高に満たされているのでしょう。
その最高に満たされた状態を確実にたどっていただろう『荒野へ』の若者は、その期間がわずか2年と少しでも、たとえひとりでお腹をすかせて死にいたったとしても、しあわせだったのではないかと勝手に想像しています。

彼が亡くなっていたのは、町から20キロしか離れていない森の中です。
何としてでも生きようと思えば助けを求められる距離であり、他にも助けを求める方法はあった。
なのにそうしなかった彼を自殺願望があったという人もいるようですが、頭と心と体がイエスという完璧なレールを外れて生き延びるよりも、完璧なレールの上で満たされたままでいることの方が彼にとって自然だったのかもしれません。
あくまで彼の真意はわからず、まったくの想像に過ぎませんが。

必ずしも生きていることがよく、死は悪でもないし、生を尽くして生きることが正しく、妥協や欺瞞が悪いというわけでもない。
単に価値観や好みの問題です。
彼の生き方を頭から否定する人は、それほど自分の生き方に自信とたしかさを感じているのかな?と思いました。

『荒野へ』を読むと、よくも悪くもその人の人生観が浮き彫りになるようです。

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