無色透明は難しい
先日、友達と話をしている時に、元陸上選手のウサイン・ボルトのインタビューで、ボルトが自分のことを指す I を「俺」と訳している通訳がいて、黒人はがさつだという偏見に基づいた人種差別だと言っている日本人がいたという話題になりました。
たしかにこれは難しい問題です。
わたしなら、公式会見であれば「わたし」、気心の知れたインタビュワーとの会話であれば「俺」にするかも、と思いました。
話す相手やシチュエーションによって口調が変わるのは自然なので、その場に応じた訳でいいのではないかと。
ちなみにボルトと同国人、黒人であり、日本語教師でもある友人は、「ボルトに『私/わたし』と『俺/おれ/オレ』のニュアンスの違いを説明した上で、どれを訳語に選んで欲しいか尋ねたら、たぶんボルトは『俺』を選ぶんじゃないかな」と言っていました。
しかし最近の風潮でいうと、翻訳/通訳者の理解や感受性というフィルターを通さない、極力無色透明な翻訳が好まれている印象なので(これも〝わたしの感覚〟なので断定はできない)「I」は「私」が一番無難な選択肢かもしれません。
これも時代の流れと好みだなぁと思うのですが、個人的にはキャラクターや状況に応じた「私/わたし/俺/おれ/オレ/わし/ワシ」、場合によっては「〇〇(自分の名前)/〇〇ちゃん」を使い分ける翻訳者の感性を信じたいです。
もちろん、それで読者の大半に違和感を抱かせたら駄目。
でも、ほとんどの読者がすっと読める自然さがあれば、あとの数人が誤訳だと言おうが、十分な訳だと思うのですが、どうでしょう。
翻訳者も人間である以上、機械のようにフィルターなしで世界を見ることなど不可能な気がするのですが。。。
100年以上前という時代設定、若干嫌味でひねくれているけど憎めない話者のキャラクターに合わせて「All right. 」を「よござんす」と訳された方がいます。
その場の匂いや熱まで伝わってきそうなよい選択だと、わたしは感じてしまう。
やはり時代の流れと好みでしょう。
無色透明、原文に忠実が無難だと思いつつ、状況とキャラクターからにじみ出るものを言葉で表現したくなる自分は、もう少しこのまま進んでみます。
感性というフィルターを外して無色透明になるのは難しい。
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