テクノロジーと自分

 
近年、「意見収集(ブロードリスニング)のためにAIを使っている」「スピーチの原稿作成やチェックにAIを使っている」と公言する政治家の方が増えてきました。
もしかすると、わたしたちが誰かから受けとる真心を感じるメールも、実はAIが作ったものかもしれません。
もはやAIなどのテクノロジーを使って短時間で精度の高い成果物を出し、より間違いの少ないもののほうが好ましく思われ始めている気がします。
むしろその速さとレベルの高さがスタンダードになりつつあるような。

わたしも数か月に一度ぐらいは無料版のChatGPTを使いますが、まだAIなどのテクノロジーを積極的に使うことには抵抗を感じています。
そして仕事でもプライベートでも、AIを使って生まれたものと、そうでないものの区別をしたい派。
だけどその理由はわかりません。
たとえ膨大な時間と労力をかけても、自力でやることに何らかの価値を見出しているからでしょうか。
それがどんな価値なのかはわからないけれど。。。

先日も、YAMAPというテクノロジーを駆使した登山アプリの便利さを痛感しました。
わたしは頭の回転が遅く、理解や記憶に時間がかかるという理由もありますが、どこかに行く前は何時間も地図を見ます。
これが数日間の旅行になると、合計何十時間も地図を見たり、線を引いたりして行程を考えます。
距離や標高差を計算し、難易度を考えながらやる、なかなか手間のかかる作業です。
しかしYAMAPというアプリを使えば、地図をダウンロードしてスタートボタンを押すだけで、山の中でも道迷いせずに歩ける。
地図を探して印刷する手間も、お金や時間さえかかりません。
断然アプリを使った方が合理的です。
それなのに、毎回使うことに抵抗があるのはなぜでしょう??

時間と労力という資源を有効活用し、より間違いの少ない結果を目指すなら、AIやアプリなどのテクノロジーを使うことが最適解に思えます。
むしろそれがスタンダードになりつつある今、わたしのようにテクノロジーをあまり使わない者は、膨大な時間と労力をかけてレベルの低いものしか生み出せない。
これが仕事の場面だと、完全に負けです。
円滑なコミュニケーションをはかるにも、テクノロジーを使ったレベルの高さにはかないません。
このブログの投稿も、AIを使って書けば、もっと文章や内容がよくなるでしょう。

だから使えばいいんだと頭ではわかっているのに、それに抵抗する心。
一体何でしょうね、この抵抗の正体は。
単なるへそ曲がりや、テクノロジーに対する不慣れが原因ではない気がします。

今日も、ほとんどの人からすれば無益な苦しみ(暑い中歩く練習)を味わってきます。
単にバカのような、そうでないような。

どこまでテクノロジーを使うか、まだ自分の答えは出そうにありません。
AIの、この↓ スマートさよ!!

出典:Google Japan

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