愛媛県・石鎚山系の思い出3:テントと若者
山行3日目、1日中雨の中を歩いてたどり着いた瓶が森キャンプ場。
時刻は16時半、体の7割は濡れている。
福島の時のようなズブ濡れ100%ではないものの、すぐに着替える必要はありました。
下着や洋服の替えはあるけれど、カッパの予備はありません。
せめてカッパだけでも完全に乾かしたいと思い、広い物干し場を求めてキャンプ場の近くにある避難小屋へ向かいました。
誰かいるかな?と思いつつ外扉を開けると、ビショビショに濡れたワークマンの靴が置いてあります。
それを見た瞬間、中には入らずにそっと扉を閉めました。
わたしも山を歩き始めた最初の1年間は、それとまったく同じ2千円弱の靴を履いていました。
山は歩きたいけど山用の靴は高い。
1万円台でもハードルが高くて、長らく手を出せずにいました。
今避難小屋にいる人がどんな人かはわかりませんが、お金を持った人でないことはたしかです。
あの靴で標高1900メートル近い山に登り、しかも雨に打たれてここにたどり着いたのですから、さぞかし疲れているだろうと思いました。
カッパも透湿性皆無の、雨で濡れているのか汗で濡れているのかわからない物を着ているでしょう。
それでも強い想いを抱いて、やっとここにたどり着いた人の邪魔をしたくなかったのです。
わたしは避難小屋にいる人と、山を始めた頃の自分を重ねつつ、「これで車に乗って来た奴が泊まってたら怒るぞ(瓶が森は車でも来られる)」と苦笑しながらキャンプ地に引き返しました。
十分乾かなくても、カッパはテントの中に干せばいい。
わたしには物干しスペースのあるテントがあるのだから。
実は今回の山行を前に、とうとうわたしは山用テントを買っていました。
もう何年も、買うべきか買わざるべきか悩み続けたモンベルの看板商品です。
1セットで税込約5万5千円。
もちろんクレジットの分割払い。
家で試し張りをした時の様子。
まだまだ自分にはゼイタク過ぎる気もしましたが、今回は初日に登山口で力尽きる可能性があり、そこで1泊するとなると、アスファルトの上や狭い場所にテントを張らざるをえません。
それだと手持ちのテントが使えないため、畳1畳分しか場所をとらず、どんな路面でも建てられるテントを購入しました。
これが幸運にも大正解。
このテントでなければ、これほど余裕をもって今回の山行を終えられなかったと思います。
まず初日は朝7時に実家を出て、自転車を1時間漕いで帰宅。
そのあと荷物を担いで駅まで歩き、電車とバスを乗り継いで、登山口最寄りのバス停で下車。
〝最寄り〟とはいえ、そのあと登山口までは気温35度の中、灼熱のアスファルト道を16キロ歩きます。
道端で何度も休憩しながら、6時間かけて登山口に着いた頃には満身創痍です(苦笑)。
案の定、登山口駐車場はアスファルトで舗装されており、傾斜もあったため、道路脇の崖っぷちを整地してテントを張りました。
これは、これまで使っていたテントではできなかったことです。
それに加え、2日目に水場近くの小さなスペースで泊まれたのは、畳1畳分しか必要としないテントのおかげ。
3日目に雨風の強い中テントで泊まれたのは、風速20メートルまでの風には耐えるとわかっている山岳用テントだったからです。
テント内に物が干せるのも、山岳テントならでは。
どこにでも張れる、小さくて頑丈かつ便利なテントを持って行って本当によかったです。
その後、山行最終日の5日目朝、瓶が森山頂で、避難小屋に泊まっていたワークマンの靴の持ち主に会います。
彼は偶然にも、わたしと同じルートを同じ日程で歩くハイカーでした(!!!)。
向かって右側が、その男の子。
年の頃は20代前半でしょうか。
その場に居合わせた左側の女性によると、その若者は埼玉から来たという。
彼は、わたしが初日に道路脇で疲労困憊、腰を下ろして休憩している時に、目の前を颯爽と通り過ぎたULの人(超軽量な装備で歩くUltra Lightハイカーの略)でした。
その時は、「自分以外にも16キロのロードを歩く人がいるんだなぁ」「ULの人は軽快・スマートでいいなぁ」と思いつつ、一般的に超高額な軽量装備を持ったULハイカーに対して若干の嫉妬心もありました。
しかしよくよく見てみると、彼は高級品を揃えたULハイカーではなく、以前のわたしと同じ2千円の靴を履いた貧乏ハイカーでした。
幸か不幸か自分も安い物を使ってきただけに、彼が何も言わなくても、一目見ただけで持ち物の値段がわかってしまう。
そしてかつての自分と同じように、すべてを100均や中華製の物で揃えつつも、食料やテント、寝具を切り詰めて、水込のザック総重量を7~8キロに抑えた勇気あるULハイカーだったのです。
それは、わたしにはとてもできないことでした。
話を聞いてみると、その若者はわたしとほぼ同時刻に別のバス停をスタートし、1日目に1つ目の山で避難小屋泊。
持っているのが設置場所や環境を選ぶキャンプ用テントであるため、そこまで歩いて小屋に泊まるしか選択肢がなかった。
そして翌日、わたしより1日早く瓶が森に着いたものの、雨風が強いためテントでは泊まれず、小屋で3泊もしていたそうです(!!!)。
「あの暴風雨の中、テントで泊まったんですか?!!」と言ったのは、何を隠そう彼でした。
彼が2日で歩いた距離を、わたしは3日かけてゆっくり歩いたおかげで4日目も元気いっぱい。 さらにその先を9時間歩いて瓶が森に戻ってきました。
しかし彼は最初の2日間で無理をした疲労が溜まり、その後はずっとインターネットもつながらない避難小屋で停滞していたのです。
やっぱり「疲れたらいつでもテントが張れる」という安心感の有無の差は大きいと感じました。
それでも20代前半の若者が、自分の手の届く範囲で道具を揃えてでも山に行きたいと思い、実際こうして歩いていること自体がかけがえのないことです。
彼の勇気と行動力に対する尊敬の気持ちがほとばしりました。
2日間も同じ小屋で停滞したため、残りの行程が超ロングかつ2日もあるのに、彼にはあと1日分の食料しか残っていないと言います。
「わたし、今日下山するから食料あげられるよ!」と言ったけど、軽量化のためか、「いや、大丈夫です」と断られました。
1日ぐらい食べなくても大丈夫だと言っていたけど、本当に大丈夫???
わたしは彼と同じ行程を予定していたものの、自分の体力や水場の心配があるため、1日は日帰りに変更し、当初の予定よりも1日早く下山することを決めていました。
前回のパツパツ福島山行の教訓から、1日は予備日に残しておいたのです。
若者は印象的な言葉を残して次の目的地に向かいました。
「経験が増えるほど怖くなるんですよ」
ということは、わたしも経験を積んでいるということ。。。?
たしかに自分は分割払いでも堅牢なテントを買ってこの山行に臨み、体力や水・食料を考慮して余裕のあるスケジュールを組んだ。
何十年にも渡って何万人(何十万人?)もの人が使ってきた信頼の置けるテントは、わたしの堅実さと慎重さを象徴しているかもしれません。
食料や寝具を削り、その上厳しいスケジュールで歩くなんて、怖くて自分にはできない。
若者がいなくなったあと、その場に残った50代の女性と目を見合わせて言いました。
「すごい子ですね」
「自分の子どもと同じぐらいの年齢だから」を言い訳に、おせっかいおばさん(わたし)は自分の知るすべてのエスケープルートとキャンプ用テントでも張れそうな場所、水のありそうな場所を若者に伝えました。
彼は少しでもそれらの情報を覚えていたでしょうか。
たとえ最終目的地にはたどり着かなくても、無事に家まで帰れたでしょうか。
わたしたちが歩いてきた山々をバックに、本人の了承を得て撮らせてもらった後ろ姿。
初日に見たスマートさはどこへ? 5日経ったら別人級の生活感(笑)。
それでもアンタ、カッコいいよ!
心から無事を祈る。
愛媛県・石鎚山系の思い出最終につづく



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