手加減

 
写真:Teemu Paananen 出典:Unsplash

昨日Zoomを使って、友達のプレゼンの最終練習に付き合いました。
10年以上大学で教えているけれど、人前で話すのは苦手と言う彼女の苦手意識を克服するためです。

プレゼンの会場はスペイン語圏の国。 
参加者の大半は、スペイン語話者の日本語教師たち。
スライドはスペイン語で作り、説明はスペイン語か日本語でする必要がありますが、英語話者の友達はスペイン語を話しません。
スライドは翻訳ソフトを使ってスペイン語で作ったけれど、口頭説明を何語でするのかが大きな課題でした。
日本語教師の集まるセミナーだから、日本語でするのがカッコイイよね。

というわけで1回目の練習は日本語で。
わたしがたくさんダメ出しをしたからか、元々プレゼンの苦手な友達はますます自信をなくし、もう英語でプレゼンするかもと言い残して練習終了。
たとえセミナーの参加者が英語を理解できなくても、友達が自信をもって話せる英語でプレゼンするのはやむを得ないかもしれない。
もっと手加減した助言をすべきだったかも、とわたしは反省していました。

しかし練習2回目、友達は「やっぱり日本語でやってみる」と言いました(!!!)。
前回の練習を終えた時は、「自分は美人でもないし、知性以外に誇れるところはない。それなのに頭まで悪くなるなんて。。。」と嘆くほど落ちこんでいたのに、自分にとっては難しくても、全体を見れば最良の方法(スライドはスペイン語で説明は日本語)を選択したのです!
わたしは「もっと手加減すべきだったかも」と思い始めていた自分を恥じました。
やはり友達は、最初にわたしが信じていた通り、変な手加減など必要としない、たとえ困難でも最良の選択ができる、強くて賢い人だったのです。

日本では「よくない」と思っていても、「いいね」と言う人が多いです。
それは相手の気持ちをよくしようという配慮なのかもしれませんが、「どう思う?」と意見を求めた時に「いい」とだけ言われても、何の参考にもなりません。
ダメ出しをされたら、もちろん気分は落ちこむけれど、意見を聞く人はそれを覚悟して意見を求めています。
本当にいいと思っているのであれば、どこがどんな風にいいのかを、もっと具体的に言えるはず。
それなのに「いい」の一言で〝その場だけを〟丸く収めようとする人に、次も意見を聞こうとは思いません。
こちらはもっといいものを作りたい、もっと自分の力を向上させたいと思って誰かの意見を求めているのだから。

その一方で、本当にいいか悪いかの意見は求めておらず、ただ誰かに「いいね」と言って欲しいがために、他人に意見を求める人もいます。
でも、わたしは個人的にそんな上っ面だけの「いいね」をもらっても自分の不安を鎮めることはできないし、相手のことを親身に思えばこそ、必要なダメ出しや意見もあると思っています。

プレゼンの練習2回目で、「やっぱり日本語でやる」と言った友達と、改めて手加減や上っ面の「いいね」について話し合いました。
すると彼女もわたしと同じ意見を共有していて、「思ったことをちゃんと言ってくれるもり子さんだからこそプレゼンの練習に付き合ってもらってるんだ」と言いました。
なんと嬉しい言葉でしょう(感激)。

そして迎えたプレゼンの最終練習。
全体の構成も、日本語の説明も、1回目とは比較にならないほどクオリティが上がり、ほぼ完璧な仕上がりです。
手加減一切なしでコメントしても、指摘するところがほとんどないほど素晴らしい内容になっていました。
これなら完璧だ!!

わたしとの練習のあとに、毎回手直しや自主練をした友達の努力。
そして自分の力と向きあい、ダメ出しをされる心の痛みにも耐えて、よりいいものを作ろうとした友達の姿勢。
英語話者の彼女が、難しいけどスペイン語でスライドを作り、日本語でプレゼンをするという最善の選択をしたことで、彼女に対する尊敬の気持ちが爆上がりしました。
もともと素晴らしい人だとは思っていたけど、ここまで強く賢い人だったとは!
しかも変なメンツが邪魔をし始める50代でこれができる人は、そうそういないのではないでしょうか。

もちろん不必要に厳しいことを言うのは意味がありません。
でも厳しいけど相手にとって重要だと思うことを、できるだけ気持ちを傷つけないように伝える強さは持ち続ける意味があると感じる出来事でした。
友達の度量を信じて、厳しいことを言ってよかった。。。

次に彼女と話をするのは3週間後です。
さらに自主練をして磨きをかけ、自信をつければ、きっとプレゼンはうまくいくはず!
プレゼンのお土産話が楽しみです。

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