「危険すぎてもダメだが、安全すぎるのは、結局、生きていないのと同じことになってしまう」
出典:河出書房新社
試し読みもできます。
昨日服部さんの動画を紹介したタイミングで、氏の新しい本が出ていることを知りました。
タイトルは『山旅犬のナツ』。
もちろん読みます。
服部さんの著作はほとんど読んでいるので、わたしもナツが服部家に来る経緯から知っており、彼女は服部ファンにとってなじみの深い存在です。
強い意思を感じる賢そうな目と立ち居振る舞いが見る者を魅了します。
生き物(何か)を思い通りにしたい人にとって、ナツは "飼いにくい" 犬かもしれませんが、わたしは相手が動物であろうと人であろうと「飼う」という言葉が大嫌いなので、飼いにくくてもよし。
実家にいるメスの犬など、誰が名前を呼んでも来ない意思の強さを誇り、決してこちらが思うようにはなりません(歴代ナンバーワン)。
わたしが帰省するたびに、彼女が「今日はあそこに行こう」「明日はあそこに行こう」という散歩計画を立てていることは明らかで、出発時間まで決められています。
そして自分が撫でて欲しいときは「撫でろ」と命令。
彼女と四六時中一緒にいる母は、「もう、〇〇(犬の名前)!!」と腹を立てることもあるようですが、普段そんな彼女だけに、素直な瞬間や反省する仕草、悲しい顔を見せられると、「おぉ! 〇〇(犬の名前)!!」とギュッと抱きしめたくなる。
そして拒まれる(苦笑)。
河出書房新社のHPにある『山旅犬ナツ』の本文抜粋:
「たとえ危うくてもナツの命もこの世界に露出させなくてはならない。ナツがナツとしてあるには、そして、これまでの経験を生かして世界を体験していくには、たとえ危うくても、旅に出なくては意味がない。私とナツにとって生きるとは、リスクと安全のバランスのあいまに浮かび上がる微妙な現象なのだ。危険すぎてもダメだが、安全すぎるのは、結局、生きていないのと同じことになってしまう」
これってすごく大切なことだと思うのです。
少なくともわたしはそういう感覚で生き、まわりの人や動物にもそういう感覚で接しています。
たしかに「飼う」という行為は飼う側の責任がまっとうされていて、飼われる側や周囲の安全を守り、一見いいことづくめな印象を与えますが、わたしは自分が飼われる側になったときに違和感を覚えてしあわせを感じないので(体験済)、他の生き物を「飼う」、ましてや「飼い慣らそう」とは思いません。
「お世話させてもらう」や「助ける」ならアリ。
「共に生きる」のがベストだと思います。
とはいえ、わたしも人生の大半を動物と暮らしてきたので、世間でいう "飼い主” としての責任と、「できるだけ自由に過ごさせてあげたい」「安全を守りたい」という思いの板挟みになる気持ちはわかります。
「すみませ~ん」とまわりに頭を下げ、「コラッ!」と怒ることの間を行ったり来たりしながら、両方のバランスをとりつつ一緒に暮らすスタイル。
相手が愛おしいほど危険から守りたくなる気持ちは重々わかりますが、常に意識して過保護にならないよう気をつけています。
大切なのは、相手のしあわせをこちらが定義しないことかもしれません。
服部ファンのアイドル的存在・ナツ様がどんな風に描かれているのか、今から読むのが楽しみです。

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