足るを知る
各人が新聞記者というよりも、一人の人間として率直な意見を出し合い、様々なテーマがテーブルの上に並べられた感じなので、身につまされるような論点がたくさんありました。
個人的に一番印象に残ったのは、「行政は国民にどこまでサービスを提供するべきなのか」という問いです。
能登半島の地震でも、インフラなどの公共サービスが大打撃を受けました。
行政としては、安全な場所にみんながコンパクトにまとまって暮らしてくれた方がサービスを提供しやすい。
しかし住みたい場所は人によって違う。
誰かが人の少ない土地で暮らしたいと言った時、資金や労働力の限られる中、道路や水道、電気など、行政はどこまでその個人にサービスを提供すべきなのか。
もしその人が先行きの短い高齢者の場合、その人が生きている間だけのために、多額の費用をかけてインフラを整備するのか。
うちの近所の山にも、そうやって作られた道路が住民不在となって放棄されたものが無数にあります。
「自分が選んでここに住むのだから、道路や水道、電気もいらない。土砂災害等の対策もいらない」と言える人は、どれだけいるのでしょう。
少なくとも、わたしは言える自信がありません。
と同時に、8がけ社会の問題が、現在の便利さを維持するという前提で語られていることに違和感も覚えます。
「どうする? 8がけ社会」という朝日新聞のフォーラムを見ても、「どうやって現在の便利さを維持するか」という視点でアンケートの質問が作られているようです。
「足を知る」の基準は人それぞれ。
ある人の「十分」は、別の人にとっての「不足」でもある。
「地球上の資源が減ろうが、8がけ社会だろうが、わたしは今の豊かさと便利さを1ミリも減らす気はありません! 現状を維持しつつ問題解決をお願いします!!」なんていうことは可能なのでしょうか。
サービスを受ける側も提供する側も、お互いがどこまで耐えうるかを考えて歩み寄ってもいいのではないかと、個人的には思っています。
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